ふたりの成長期

最近の私はマッサージ師と化している。
相方がボロボロになって帰って来るからだ。4月末に納品した一台一億の機器にミスが見つかった。その設計部分を彼がやり、全員がチェックをしたが、そのまま通過してしまったらしい(どっかの建築家事件のようだなあ…)。それで、今回はその修正に追われている。しかも納期は今月の25日。自分の背丈よりもデカい機器を再び20台ばらし、設計ミス部分を修正し、また組み立てるのだ。
その作業を相方はクライアント先の仕事場で、慣れない新人たちを引き連れてやっている。
クライアント先だから気を使う環境の上、人を使うという大の苦手なことを彼はやっている。いわば司令塔の役目をしているのだが、頭を使い、気を使い、神経を使い、そして、体を酷使しながら、人の2倍も3倍も働いているらしい。
だから、うちに帰りついたとたん、彼はもうニンゲンを捨てる。気も抜けた腑抜け状態のまま床に倒れ込む。
ニンゲンを捨てたソレに、ガソリン(食事)を注ぎ込み、他愛のない会話をしながらココロをほぐし、セメント状態になったカラダをマッサージして、ニンゲンに戻していくのが、今の私のシゴトだ。
昔の私なら考えられない。
オトコに尽くすなんて! オトコを優先させるなんて!きっと、そんなことを口にしていたと思う。
そんなことを言っていた頃の自分は、いろんなことに縛られていた。「…でなければ」「…であるべきだ」「私は」と主張しなければ、私でいられなかった。
今は、もうすでにどうでもいいほど、解放されて、目の前の戦士をいかに癒すかにエネルギーを注いでいる。そんな自分が軽やかで心地いい。自分のことだけしか考えていなかった頃は、自由のようでどれだけ不自由だったんだろう、と思う。
そして、気付けば、相方もまた成長をしていることに気付く。
知り合った頃の彼や、去年の彼は、仕事に対していっぱいいっぱいだった。責任を負わされることや、人と関わることを極端に恐れ、逃げたがっていた。
家に帰っても不機嫌で、話もしなかった。
それが、今はどうだろう。
聞かなくても仕事のことは話し、ヒイヒイと悲鳴を上げながらも笑っている。そして、私への感謝の気持ちを何度も表す。
先日の会社の飲み会では、ついに何かがキレたのか、意識不明になるほど酔ってしまい、会社の新人たちが3人係りで家まで運んで来たという(私は実家に帰っていた)が、そんなことが起きても、ヤバイな〜と頭を抱えて、顔はへらへらと笑っている。
会社でもマジメだけじゃないキャラとして好感も持たれ、プロジェクトのみんなが着いて来るほどに頼りになっているらしい。
「コイツも大きくなったもんだ…」と客観的に見守りながら、しみじみと思う。
「お金をもらって、仕事で力を付け、成長させてもらっているなんてありがたいね」と私はからかい、彼も「ホントだねー」と素直に笑っている。
そんな相方の夢は、自らがいつも望んでいたように自分の技術が人の役に立つこと。しかもそれは、縁の下の力持ち。まさに「地上の星」だ。彼の役割もきっとそうなのだろう。
自分のプロジェクトがまだ未熟な中で、相方はハードもソフトもスタッフにも関わりながら、システムを構築させているのだと思う。そのシステムが完成した頃、相方は会社を離れるだろう。かつて中米の小国で自ら、システムを立ち上げたように。
ハードルに向かって攻略する、まさにゲームのような過程が彼は好きなのだ。出来上がったものの中にいて、継続させたり、向上させたりすることには興味ないらしい。
開発国に行きたがっている彼は、きっとそんな理由からだ。
そんな相方を見ているのがおもしろい。
そして、ふたり、同志のように互いを励ましあい、それぞれ目の前のハードルに向かいながら人間的に成長しているのを見ているのは、もっと興味深く、おもしろい。
私達はいずれ、どこかの国に住むだろう。
私が今、ライター稼業のカタチを変えようとしているのも、彼が今やっていることも、きっと次につながるのだ。
そんな未来をぼんやりと夢見ながら、今に真剣に向き合うことがいちばん大切なことだと思わずにはいられない。
そして、
そんな時間を送られることに、ただただ感謝、感謝しかない。