モノに宿る気

今日は仕事の中休み。昨日まで確定申告やらで多忙だったのもあり、今日は自分に休日をあげた。
午前中、久々に会うスピリチュアル系友人と我が家でブランチをして、夕方から映画を観て、映画好きの友人とお茶をした。
いい充実した贅沢な一日だった。

そんな中スピリチュアル系友人から、いい話を聞いた。
すべてのモノには気が宿っているという。
いいモノだけにではなくガラクタにも当然だ。ガラクタとは、自分が捨てたくても捨てられないもの。もらったものや、いつか使うかもしれないと思うもの、使いもしないのに惜しいと取っていたりするもの、そんなものには、捨てられない自分を責めたり、置きたくないものを置いていたりするのが、すべてマイナスの悪い気になるという。あると幸せで、観ているだけで楽しいと思うものだけを置くのがいいと言う。

私は4月になったら大掃除をしようと思っている。なぜか、モノから解放されたくなっている。いらないと思うものを捨てたくなっている。だけど、どこかで惜しいとか、捨ててはいけないと思っている部分がある。この話はそんな自分の背中を押してくれるものだった。
いつか使うかも?と言う思いは、欲しいときには欲しいものが手に入るという、天の手助けを信用していないという証だ、と。これはハッとするほど、真実だと思った。
さらに、私の今の課題である「心配ごと」だ。
心配がネガティブな感情だということはわかるのだが相方や両親に対してついいらぬ心配をしてしまう。例え、身内でも私とは違う人間だ。だから、私が心配しても何もならない。
それどころか、心配をすると、その通りになってしまうというのは、その思いに対してエネルギーを与えてしまうのだそうだ。
これもまた、納得をしてしまう。
やっぱり、たまに友人とおしゃべりするのはいい。
新鮮な情報が手に入る。特にふっと会いたいと思った人からは欲しいときに欲しい情報が入るから。
もうひとつの天の声だと思う。