市井のテレサ

昨日、映画「マザー・テレサ」を観た。

マザーを演じるのは、なんとあのオリビア・ハッセーだ。彼女が敬謙なカソリックであることは知っていた。おそらく精神的な人なんだろうな、とも感じていた。だから、この役柄を望んでいたというのはとても納得がいける。
それにしても、まるで憑依したかのようにオリビアはマザーにそっくりだ。けど、惜しいかなイマイチのできだ。素材もいいし、オリビアもうまいだけに、とても残念だ。あれがリチャード・アッテンボローあたりだったら、もっとドラマ性のあるものに仕立てたのではないかなあ…。

けど、あの映画を観ていると、マザーはつくづく行動の人だと思わずにはいられない。人の意見など聞いていない。コンセンサスなんの、どうでもいい。これは神のご意思だ、とインスピレーションが湧くままに動いている。行動をおこし、かたちにし、実現させた後でキチンと結果を出し、人々を納得させる。

人から何を言われることなど、まったく気にせず、信じることに向かって突き進む。だから、敵もトラブルも多いのだけれど、彼女の軸はぶれない。迷いも曇りもない。
あの強さはどこからくるのだろう? 
もちろん、信仰だ。
自分を信じ、神を信じる。
マザーの強引とも思える、突き進む行動力が必要な時代があったのだ。


だけど、今の時代は少し、変化している。
今は調和の時代だと思う。
聖人的なカリスマや指導者はきっともう、必要ないのだろう。
指導者がいるとしたら、あの庶民的なダライ・ラマのような人だ。
今は、一人ひとりが目覚め、意識を持ち、行動する時代に移ったのだと思う。
戦いをせず、穏やかに、丁寧に、少しずつ一歩ずつ、誰でも行動を起こせる時代だと思う。

さて、ここにいる市井のテレサは、ペンで行動を起こしている。
気持ちいいココロに届く文章を書き、伝えること。

これが私のささやかな革命だ。