仕事のような遊び

 昨日、友人との話の中で「専業主婦にはとてもなれないよな、毎日毎日家事には専念できないよ」と私が言ったら、友人が「そんなことはない、働かなくてもいいんだったら、私は家で専業主婦をしている方がいい」と答えた。
確かにその友人は料理が美味いし好きだと言う。ストレスがたまったらパンを焼いたり、ピザを作ったりケーキを作ったりしているらしい。仕事は嫌いではないが、生活のためだし・・と。それを聞いて私はふと、思った。
私のライターという仕事は生活のための仕事だろうか?
その自問に、『それは違うな』と、すぐに答えた。
私はこの仕事のおかげで自分がずいぶん成長したし、たくさんの経験もさせてもらった。
いろんな辛いことや経験を乗り越えて、この仕事を選択して本当によかったと思うほどになった。
この仕事がなかったら、自分という人間はできあがっていなかったんじゃないかと。これはもちろんボランティアじゃなくお金をもらっているから仕事には違いないのだけど、働くという言葉が何か似合わない。
それは、たぶん基本的に嫌なことをやって来なかったからじゃないだろうか・・
もちろん、いろんな人たちに支えられ、助けられ、めぐり合えて来たことなのだけど、どこかで根底の自分自身が選択し育て上げた来たものだと、ほんのちょっとっぴり誇りに思える。
悩みながら、転びながら、泣きながらも、だけど、自分自身を見失わずに歩いて来れたこと、それはとてもラッキーなことで感謝している。
好きな仕事ができて、自分が成長できる仕事を持っている。それはもう仕事を超えたもの。
仕事のような遊び?ライフワーク? そんなものかもしれないな・・。だから、例え、主婦をしようが何をしようが、まず、この「仕事」ありき。なのだと思う。
それにもっとつきつめて言えば、私に必要なことは「仕事」ではなく、「書く」ことだと思う。私は書くことでの伝達者だと思うから、お金が取れなくてもずっとずっと何かを書き続け、伝えているのだろう、と。
そんな幸せなことを改めて確認したような気がする。